国道195号線橋川野で物部川をわたり県道を300メートルほど右へ進むと、道のそばに鳥居があります。
 ゆるい勾配の道を登り三つの鳥居をくぐると社殿に行き着きます。
 詳しい説明が香北町史に書かれていますが、その編者である故松本実さんの生家はすぐ近くです。
 私が子供のころは祭りの日には、沢山の店が並び、近隣の町村からもワカイシが集い奉納相撲が行われていました。

御市川若一大王子宮 五百蔵小字市川に鎮座、祭神は天忍稲穂耳命。神体は鏡。 勧請来歴等はつまびらかでないが、 町内では最も古い神社の一つである。昔は本社九尺四方、拝殿五間、傍らに阿弥陀堂があって、 神仏と年に四度づつの祭りが行われていた。
 天正十六年の地検帳によれば、社領として五百蔵・白川の両村の本田一町三十一代をもっていたが、いつの時代かに召し上げられて貢物もなくなり、 宮が破損しても修理も出来ず、藁すぼつきの粗末なものとなった。寛文十年にはそのままで応急の修理を加え、 その後正徳三年に氏子によって本社拝殿が建立せられ、元文五年にも修繕が行われている。
 享保十四年には向林谷の東で田九代九歩を氏子より寄進した。古来五百蔵村西部落と白川村東部落の産土神で、 元は御市川若一大王子権現といったが、 明治元年に仏語を神社号に用いているものは改めなければならなくなったので現在のように改称し、 同五年新たに社格をさだめられるに当って村社となった。
 宮林二十五代のうち九代が享保六年に御山方支配となり、杉・檜・椋・竹等が保護されてきたので永く森厳を保って来たが、 昭和三十一年社殿の大修理を行うに当たって宮林は売却された。 鰐口銘に「土州韮生郡市河若一王子奉施入亨徳元年九月九日大願主大中臣○弥道芳」としるされているところから考えると 山田氏の崇敬があつかったこともまた知られる。
 棟札には「正徳三葵巳年九月吉日再興御市河若一大王子権現社導師報恩寺建莫神主森元亦右衛門」 「元文五庚申歳十一月十七吉日修補若一王子宮五百蔵村市河氏子神主森元吉右衛門報恩寺一谿書之」とある。 香北町史(松本実編集1968年発行)より

国土地理院発行2.5万分の1地形図「美良布」より。
書き込みの位置は正確でない場合があります。

 


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